P--777 P--778 P--779 #1一念多念文意 一念多念文意 一念をひかことと おもふましき事 恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前と いふは 恒は つねにといふ 願は ねかふと いふなり  いま つねにと いふは たえぬこゝろなり おりに したかふて ときときも ねかへと いふなり い ま つねにと いふは 常の義には あらす 常といふは つねなること ひま なかれと いふこゝろな り ときとして たえす ところとして へたてす きらはぬを 常と いふなり 一切臨終時と いふは  極楽を ねかふ よろつの 衆生 いのち おはらむときまてと いふことはなり 勝縁勝境と いふは  仏おも みたてまつり ひかりおもみ 異香おも かき 善知識の すゝめにも あはむと おもへとなり  悉現前と いふは さまゝゝの めてたきこととも めのまへに あらわれ たまへと ねかへとなり 無 量寿経の中に あるいは 諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心廻向 願生彼国 即得往生 住 不退転と ときたまへり 諸有衆生と いふは 十方の よろつの 衆生と まふす こゝろなり 聞其名 号と いふは 本願の 名号を きくと のたまへるなり きくといふは 本願を きゝて うたかふこ P--780 ゝろ なきを 聞と いふなり また きくといふは 信心を あらわす 御のりなり 信心歓喜 乃至一 念と いふは 信心は 如来の 御ちかひを きゝて うたかふ こゝろの なきなり 歓喜といふは 歓 は みを よろこはしむるなり 喜は こゝろに よろこはしむるなり うへきことを えてむすと かね て さきより よろこふ こゝろなり 乃至は おほきおも すくなきおも ひさしきおも ちかきおも  さきおも のちおも みな かね おさむる ことはなり 一念と いふは 信心を うるときの きわま りを あらわす ことはなり 至心廻向と いふは 至心は 真実と いふことはなり 真実は 阿弥陀如 来の 御こゝろなり 廻向は 本願の 名号を もて 十方の衆生に あたへたまふ 御のりなり 願生彼 国と いふは 願生は よろつの 衆生 本願の 報土へ むまれむと ねかへとなり 彼国は かのくに といふ 安楽国を おしへ たまへるなり 即得往生と いふは 即は すなわちといふ ときを へす  日おも へたてぬなり また 即は つくといふ そのくらゐに さたまり つくといふ ことはなり 得 は うへきことを えたりといふ 真実信心を うれは すなわち 無礙光仏の 御こゝろの うちに 摂 取して すてたまはさるなり 摂は おさめたまふ 取は むかへとると まふすなり おさめ とりたま ふとき すなわち とき 日おも へたてす 正定聚の くらゐに つき さたまるを 往生を うとは  のたまへるなり しかれは 必至滅度の 誓願を 大経に ときたまはく 設我得仏 国中人天 不住定聚  必至滅度者 不取正覚と 願したまへり また 経にのたまはく 若我成仏 国中有情 若不決定 成等正覚  P--781 証大涅槃者 不取菩提と ちかひたまへり この願成就を 釈迦如来 ときたまはく 其有衆生 生彼国者  皆悉住於 正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚と のたまへり これらの 文のこゝろは  たとひ われ 仏を えたらむに くにの うちの 人天 定聚にも 住して かならす 滅度に いたら すは 仏に ならしと ちかひたまへる こゝろなり また のたまはく もし われ 仏に ならむに  くにの うちの 有情 もし 決定して 等正覚を なりて 大涅槃を 証せすは 仏に ならしと ちか ひ たまへるなり かくのことく 法蔵菩薩 ちかひ たまへるを 釈迦如来 五濁の われらか ために  ときたまへる 文のこゝろは それ 衆生あて かのくにに むまれむとするものは みな ことゝゝく  正定の聚に住す ゆへは いかんと なれは かの 仏国の うちには もろゝゝの 邪聚 およひ 不定 聚は なけれはなりと のたまへり この 二尊の 御のりを みたてまつるに すなわち 往生すと の たまへるは 正定聚の くらゐに さたまるを 不退転に 住すとは のたまへるなり このくらゐに さ たまりぬれは かならす 無上大涅槃に いたるへき身と なるかゆへに 等正覚を なるとも とき 阿 毘抜致に いたるとも 阿惟越致に いたるとも ときたまふ 即時入必定とも まふすなり この真実信 楽は 他力横超の 金剛心なり しかれは 念仏のひとおは 大経には 次如弥勒と ときたまへり 弥 勒は 竪の金剛心の 菩薩なり 竪とまふすは たゝさまと まふすことはなり これは 聖道自力の 難 行道の 人なり 横は よこさまにと いふなり 超は こえてといふなり これは 仏の 大願業力の  P--782 ふねに 乗しぬれは 生死の大海を よこさまに こえて 真実報土の きしに つくなり 次如弥勒と  まふすは 次は ちかしといふ つきにといふ ちかしといふは 弥勒は 大涅槃に いたりたまふへき  ひとなり このゆへに 弥勒のことしと のたまへり 念仏信心の人も 大涅槃に ちかつくとなり つき にと いふは 釈迦仏の つきに 五十六億 七千万歳をへて 妙覚の くらゐに いたり たまふへしと なり 如は ことしといふ ことしといふは 他力信楽の ひとは このよの うちにて 不退の くらゐ に のほりて かならす 大般涅槃の さとりを ひらかむこと 弥勒の ことしとなり 浄土論曰 経 言若人但聞彼国土 清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚 此是国土 名字 為仏事 安可思議と  のたまへり この文のこゝろは もし ひと ひとへに かのくにの 清浄安楽なるを きゝて 剋念して  むまれむと ねかふひとと また すてに 往生を えたるひとも すなわち 正定聚に いるなり これ は これ かのくにの 名字を きくに さためて 仏事を なす いつくんそ 思議す へきやと の たまへるなり 安楽浄土の 不可称 不可説 不可思議の徳を もとめす しらさるに 信する人に えし むと しるへしとなり また 王日休の いはく 念仏衆生 便同弥勒と いへり 念仏衆生は 金剛の  信心を えたる人なり 便は すなわちといふ たよりと いふ 信心の 方便に よりて すなわち 正 定聚の くらゐに 住せしめ たまふか ゆへにとなり 同は おなしきなりといふ 念仏の人は 無上涅 槃に いたること 弥勒に おなしきひとと まふすなり また 経に のたまはく 若念仏者 当知此人  P--783 是人中 分陀利華と のたまへり 若念仏者と まふすは もし 念仏せむひとゝ まふすなり 当知此人  是人中 分陀利華と いふは まさに このひとは これ 人中の 分陀利華なりと しるへしとなり こ れは 如来の みことに 分陀利華を 念仏の ひとに たとへ たまへるなり このはなは 人中の 上 上華なり 好華なり 妙好華なり 希有華なり 最勝華なりと ほめたまへり 光明寺の 和尚の 御釈に は 念仏の人おは 上上人 好人 妙好人 希有人 最勝人と ほめたまへり また 現生護念の 利益を  おしへ たまふには 但有専念 阿弥陀仏衆生 彼仏心光 常照是人 摂護不捨 総不論照摂 余雑業行者  此亦是 現生護念 増上縁と のたまへり この 文のこゝろは 但有専念 阿弥陀仏衆生と いふは ひ とすちに 弥陀仏を 信し たてまつると まふす 御ことなり 彼仏心光と まふすは 彼は かれとまふ す 仏心光と まふすは 無礙光仏の 御こゝろと まふすなり 常照是人と いふは 常は つねなること  ひまなく たえすと いふなり 照は てらすといふ ときを きらはす ところを へたてす ひまなく  真実信心の ひとおは つねに てらし まもりたまふなり かの仏心に つねに ひまなく まもりたま へは 弥陀仏おは 不断光仏と まふすなり 是人と いふは 是は 非に対する ことはなり 真実信楽 の ひとおは 是人と まふす 虚仮疑惑のものおは 非人と いふ 非人といふは ひとに あらすと  きらひ わるきものと いふなり 是人は よきひとと まふす 摂護不捨と まふすは 摂は おさめと るといふ 護は ところを へたてす ときを わかす ひとを きらわす 信心ある人おは ひまなく  P--784 まもり たまふとなり まもると いふは 異学異見の ともからに やふられす 別解別行の ものに  さえられす 天魔波旬に おかされす 悪鬼悪神 なやますこと なしとなり 不捨と いふは 信心の  ひとを 智慧光仏の 御こゝろに おさめ まもりて 心光の うちに ときとして すてたまはすと し らしめむと まふす 御のりなり 総不論照摂 余雑業行者と いふは 総は みなといふなり 不論は  いはすと いふこゝろなり 照摂は てらしおさむと 余の雑業と いふは もろゝゝの 善業なり 雑行 を修し 雑修を このむものおは すへて みな てらし おさむと いはすと まもらすと のたまへる なり これ すなわち 本願の 行者に あらさる ゆへに 摂取の 利益に あつからさるなりと しる へしとなり このよにて まもらすとなり 此亦是 現生護念と いふは このよにて まもらせ たまふ となり 本願業力は 信心の ひとの 強縁なるかゆへに 増上縁と まふすなり 信心を うるを よろ こふ人おは 経には 諸仏と ひとしき ひとと ときたまへり 首楞厳院の 源信和尚 のたまはく 我 亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無惓 常照我身と この文の こゝろは われ また かの  摂取のなかに あれとも 煩悩 まなこを さえて みたてまつるに あたはすと いゑとも 大悲ものうきこ と なくして つねに わかみを てらしたまふと のたまへるなり 其有得聞 彼仏名号と いふは 本 願の名号を 信すへしと 釈尊とき たまへる 御のりなり 歓喜踊躍 乃至一念と いふは 歓喜は う へきことを えてむすと さきたちて かねて よろこふ こゝろなり 踊は 天に おとる といふ 躍 P--785 は 地に おとるといふ よろこふ こゝろの きわまりなき かたちなり 慶楽する ありさまを あら わすなり 慶は うへきことを えて のちに よろこふ こゝろなり 楽は たのしむ こゝろなり こ れは 正定聚の くらゐを うる かたちを あらわすなり 乃至は 称名の &M010174;数の さたまりなきこと を あらわす 一念は 功徳の きわまり 一念に 万徳 ことゝゝく そなわる よろつの 善 みな  おさまるなり 当知此人と いふは 信心の ひとを あらわす 御のりなり 為得大利と いふは 無上 涅槃を さとるゆへに 則是具足 無上功徳とも のたまへるなり 則といふは すなわちと いふ のり とまふす ことはなり 如来の 本願を 信して 一念するに かならす もとめさるに 無上の功徳を  えしめ しらさるに 広大の 利益を うるなり 自然に さまゝゝの さとりを すなわち ひらく 法 則なり 法則と いふは はしめて 行者の はからひに あらす もとより 不可思議の 利益に あつ かること 自然の ありさまと まふす ことを しらしむるを 法則とは いふなり 一念信心を うる ひとの ありさまの 自然なることを あらわすを 法則とは まふすなり 経に 無諸邪聚 及不定聚と  いふは 無は なしといふ 諸は よろつのことゝいふ ことはなり 邪聚といふは 雑行雑修 万善諸行 のひと 報土には なけれはなりと いふなり 及は およふといふ 不定聚は 自力の念仏 疑惑の念仏 の人は 報土に なしといふなり 正定聚の人のみ 真実報土に むまるれはなり この文ともは これ  一念の証文なり おもふ ほとは あらはし まふさす これにて おしはからせ たまふへきなり P--786 多念を ひかことと おもふましき事 本願の文に 乃至十念と ちかひ たまへり すてに 十念と ちかひ たまへるにて しるへし 一念に  かきらすといふことを いはむや 乃至と ちかひ たまへり 称名の&M010174;数 さたまらすと いふことを  この 誓願は すなわち 易往易行の みちを あらはし 大慈大悲の きわまり なきことを しめした まふなり 阿弥陀経に 一日 乃至七日 名号を となふへしと 釈迦如来 ときおき たまへる 御のり なり この経は 無問自説経と まふす この経を ときたまひしに 如来に とひたてまつる 人もなし  これ すなわち 釈尊出世の 本懐を あらわさむと おほしめす ゆへに 無問自説と まふすなり 弥 陀選択の 本願 十方諸仏の 証誠 諸仏 出世の 素懐 恒沙如来の 護念は 諸仏咨嗟の 御 ちかひを あらはさむとなり 諸仏称名の 誓願 大経に のたまはく 設我得仏 十方世界 無量諸仏  不悉咨嗟 称我名者 不取正覚と 願したまへり この悲願の こゝろは たとひ われ 仏を えたらむ に 十方世界 無量の諸仏 ことゝゝく 咨嗟して わか名を 称せすは 仏に ならしと ちかひたまへ るなり 咨嗟と まふすは よろつの 仏に ほめられ たてまつると まふす 御ことなり 一心専念と  いふは 一心は 金剛の信心なり 専念は 一向専修なり 一向は 余の善に うつらす 余の仏を 念せす  専修は 本願の みなを ふたこゝろなく もはら 修するなり 修は こゝろの さたまらぬを つくろい  なほし おこなふなり 専は もはらといふ 一といふなり もはらといふは 余善他仏に うつるこゝろ  P--787 なきを いふなり 行住座臥 不問時節久近と いふは 行は あるくなり 住は たゝるなり 座は ゐ るなり 臥は ふすなり 不問は とはすと いふなり 時は ときなり 十二時なり 節は ときなり  十二月 四季なり 久は ひさしき 近は ちかしとなり ときを えらはされは 不浄の ときを へた てす よろつの ことを きらはされは 不問と いふなり 是名正定之業 順彼仏願故と いふは 弘誓を  信するを 報土の 業因と さたまるを 正定の業と なつくといふ 仏の願に したかふか ゆへにと  まふす 文なり 一念多念の あらそひを なすひとおは 異学別解の ひとと まふすなり 異学といふ は 聖道外道に おもむきて 余行を 修し 余仏を 念す 吉日良辰を えらひ 占相祭祀を このむもの  なり これは 外道なり これらは ひとへに 自力を たのむものなり 別解は 念仏を しなから 他 力を たのまぬなり 別といふは ひとつなることを ふたつに わかち なすことはなり 解は さとる といふ とくといふ ことはなり 念仏を しなから 自力に さとりなすなり かるかゆへに 別解と  いふなり また 助業を このむもの これ すなわち 自力を はけむひとなり 自力と いふは わか みを たのみ わかこゝろを たのむ わかちからを はけみ わか さまゝゝの 善根を たのむひとな り 上尽一形と いふは 上は かみといふ すゝむといふ のほるといふ いのち おはらむまてといふ  尽は つくるまてと いふ 形は かたちといふ あらわすといふ 念仏せむこと いのち おはらむまて となり 十念三念 五念のものも むかへ たまふといふは 念仏の&M010174;数に よらさることを あらはすな P--788 り 直為弥陀弘誓重と いふは 直は たゝしきなり 如来の直説と いふなり 諸仏の よにいてたまふ  本意とまふすを 直説と いふなり 為は なすといふ もちゐるといふ さたまるといふ かれといふ こ れといふ あふといふ あふといふは かたちといふ こゝろなり 重は かさなるといふ おもしといふ  あつしといふ 誓願の 名号 これを もちゐ さためなし たまふこと かさなれりと おもふへき こ とを しらせむとなり しかれは 大経には 如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利と のたまへ り この文の こゝろは 如来と まふすは 諸仏を まふすなり 所以は ゆへと いふ ことはなり  興出於世と いふは 仏の よにいてたまふと まふすなり 欲は おほしめすと まふすなり 拯は す くふといふ 群萌は よろつの 衆生といふ 恵は めくむとまふす 真実之利と まふすは 弥陀の 誓 願を まふすなり しかれは 諸仏の よよに いてたまふ ゆへは 弥陀の願力を ときて よろつの 衆 生を めくみ すくはむと おほしめすを 本懐と せむと したまふか ゆへに 真実之利とは まふす なり しかれは これを 諸仏出世の 直説と まふすなり おほよそ 八万四千の 法門は みな これ  浄土の 方便の善なり これを 要門といふ これを 仮門と なつけたり この 要門仮門と いふは  すなわち 無量寿仏観経一部に とき たまへる 定善 散善 これなり 定善は 十三観なり 散善は  三福九品の 諸善なり これ みな 浄土方便の 要門なり これを 仮門とも いふ この 要門 仮門 より もろゝゝの 衆生を すゝめ こしらえて 本願一乗 円融無礙 真実功徳 大宝海に おしへ すゝ P--789 め いれたまふか ゆへに よろつの 自力の 善業おは 方便の門と まふすなり いま 一乗と まふ すは 本願なり 円融と まふすは よろつの 功徳善根 みちゝゝて かくることなし 自在なるこゝろ なり 無礙と まふすは 煩悩悪業に さえられす やふられぬを いふなり 真実功徳と まふすは 名 号なり 一実真如の 妙理 円満せるか ゆへに 大宝海に たとえ たまふなり 一実真如と まふすは  無上大涅槃なり 涅槃すなわち 法性なり 法性すなわち 如来なり 宝海と まふすは よろつの 衆生 を きらはす さわりなく へたてす みちひき たまふを 大海の みつの へたてなきに たとへ たま へるなり この 一如宝海より かたちを あらわして 法蔵菩薩と なのり たまひて 無礙の ちかひ を おこしたまふを たねとして 阿弥陀仏と なりたまふか ゆへに 報身如来と まふすなり これを  尽十方無礙光仏と なつけたてまつれるなり この如来を 南無不可思議光仏とも まふすなり この如来 を 方便法身とは まふすなり 方便と まふすは かたちを あらわし 御なを しめして 衆生に し らしめたまふを まふすなり すなわち 阿弥陀仏なり この如来は 光明なり 光明は 智慧なり 智慧 は ひかりのかたちなり 智慧 また かたちなけれは 不可思議光仏と まふすなり この如来 十方微 塵世界に みちゝゝ たまへるか ゆへに 無辺光仏と まふす しかれは 世親菩薩は 尽十方 無礙光 如来と なつけたてまつり たまへり 浄土論曰 観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海と  のたまへり この文の こゝろは 仏の本願力を 観するに まうあふて むなしく すくるひと なし  P--790 よく すみやかに 功徳の 大宝海を 満足せしむと のたまへり 観は 願力を こゝろに うかへ み ると まふす また しると いふこゝろなり 遇は まうあふといふ まうあふと まふすは 本願力を  信するなり 無は なしといふ 空は むなしくといふ 過は すくるといふ 者は ひとといふ むなし く すくる ひと なしと いふは 信心 あらむひと むなしく 生死に ととまること なしとなり  能は よくといふ 令は せしむといふ よしといふ 速は すみやかにといふ ときことゝ いふなり  満は みつといふ 足は たりぬといふ 功徳とまふすは 名号なり 大宝海は よろつの善根 功徳 み ちきわまるを 海に たとへたまふ この功徳を よく 信するひとの こゝろのうちに すみやかに と く みちたりぬと しらしめむとなり しかれは 金剛心の ひとは しらす もとめさるに 功徳の 大 宝 そのみに みちみつか ゆへに 大宝海と たとえたるなり 致使凡夫念即生と いふは 致は むね と すといふ むねとすといふは これを 本と すといふことはなり いたるといふ いたると いふは  実報土に いたるとなり 使は せしむといふ 凡夫は すなわち われらなり 本願力を 信楽するを  むねと すへしとなり 念は 如来の 御ちかひを ふたこゝろなく 信するを いふなり 即は すなわ ちといふ ときを へす 日を へたてす 正定聚の くらゐに さたまるを 即生と いふなり 生は  むまるといふ これを 念即生と まふすなり また 即は つくといふ つくといふは くらゐに かな らす のほるへき みといふなり 世俗の ならひにも くにの 王の くらゐに のほるおは 即位とい P--791 ふ 位といふは くらゐと いふ これを 東宮の くらゐに ゐるひとは かならす 王の くらゐに  つくかことく 正定聚の くらゐに つくは 東宮の くらゐのことし 王にのほるは 即位といふ これ は すなわち 無上大涅槃に いたるを まふすなり 信心のひとは 正定聚に いたりて かならす 滅 度に いたると ちかひたまへるなり これを 致と すと いふ むねとすと まふすは 涅槃の さと りを ひらくを むねとすとなり 凡夫といふは 無明煩悩 われらかみに みちゝゝて 欲も おほく  いかり はらたち そねみ ねたむこゝろ おほく ひまなくして 臨終の 一念に いたるまて とゝま らす きえす たえすと 水火二河の たとえに あらわれたり かゝる あさましき われら 願力の  白道を 一分二分 やうゝゝつゝ あゆみ ゆけは 無礙光仏の ひかりの 御こゝろに おさめ とりた まふか ゆへに かならす 安楽浄土へ いたれは 弥陀如来と おなしく かの正覚の はなに 化生し て 大般涅槃の さとりを ひらかしむるを むねと せしむへしとなり これを 致使凡夫念即生と ま ふすなり 二河の たとえに 一分二分 ゆくと いふは 一年二年 すきゆくに たとえたるなり 諸仏 出世の 直説 如来成道の 素懐は 凡夫は 弥陀の本願を 念せしめて 即生するを むねと すへしと なり 今信知 弥陀本弘誓願 及称名号と いふは 如来の ちかひを 信知すと まふす こゝろなり  信と いふは 金剛心なり 知といふは しるといふ 煩悩悪業の 衆生を みちひき たまふと しるな り また知といふは 観なり こゝろに うかへ おもふを 観といふ こゝろに うかへしるを 知と  P--792 いふなり 及称名号と いふは 及は およふといふは かねたるこゝろなり 称は 御なを となふると なり また 称は はかりといふ こゝろなり はかりと いふは ものゝほとを さたむることなり 名 号を 称すること とこゑ ひとこゑ きくひと うたかふ こゝろ 一念も なけれは 実報土へ むま ると まふすこゝろなり また 阿弥陀経の 七日 もしは 一日 名号を となふへしとなり これは  多念の証文なり おもふやうには まふし あらはさねとも これにて 一念 多念の あらそひ あるま しき ことは おしはからせ たまふへし 浄土真宗の ならひには 念仏往生と まふすなり またく  一念往生 多念往生と まふすこと なし これにて しらせ たまふへし   南無阿弥陀仏   ゐなかの ひとゝゝの 文字の こゝろも しらす あさましき 愚痴 きわまりなき ゆへに やす   く こゝろえ させむとて おなしことを とりかへし〜 かきつけたり こゝろあらむひとは お   かしく おもふへし あさけりを なすへし しかれとも ひとの そしりを かへりみす ひとすち   に おろかなる ひと〜を こゝろへ やすからむとて しるせるなり        [康元二歳丁巳二月十七日]               [愚禿親鸞{八十五歳}書之]